今回の目論見/MODE主宰・演出 松本修
初演の時にはどれもが上演時間は優に3時間半を超えていた「大作」を3本一挙に上演するという無謀な企画である。
初演から参加しているオジサンたちは体力的に大丈夫だろうか?セリフはちゃんと出てくるのだろうか?それより舞台に ちゃんと出てきてくれるだろうか?そして、この1、2年のオーディション・ワークショップに参加してきた若い連中。彼らは、10年も このやり方でやってきたオジサンやオネエサンたちと上手くやれるだろうか?彼らの体から井出ちゃんの踊りの面白さは 醸し出されるだろうか?何よりこれまで比較的大きな劇場空間で上演してきた作品をコンパクトな座・高円寺1で成立させられるのだろうか?
こう並べると不安要素ばかりのように思えるが、私にはちゃんと成算がある。
勝算と言っていい。やりたいことは明確だ。
まず、大幅な改訂による上演時間の短縮。これはなにも劇場や制作からの要請があったからではなく、以前から3〜4時間版とは別に、うんと簡素化した装置で、 セリフを切り詰め、人の動きと立姿でカフカの描く「空気感」や「情景」を表せないものかとずっと考えていた。
そもそもが膨大な原作のテキストから「削ぎ落とす」ことで、それぞれの作品が出来上がってきた。削ぎ落として3時間半だったのだ。
2001年に初めて「アメリカ」の通し稽古をやった時、7時間かかったことを思い出す。あれは実に面白かった。カフカのテキストの細部をいちいち視覚化していたからなのだが、私に劇場とジャンボ宝くじの当たりがあれば、今でもあのバージョンでやってみたい。
しかし、今回はそれとはまったく別の新作を作るつもりだ。シンプルな道具立てでやるとまた別の面白さがあるということを、この数年試みてきた。 これまで作り上げてきたものを壊したいという欲求がある。さらには、観客に対してもっと不親切なものを作りたいという欲求もある。
これまでの「失踪者」「審判」「城」はずいぶんと分かり易い舞台だったのではないか?
いや、分かり易いのは悪くない。そうではなくて、 つい補助線を引きすぎて、カフカ作品本来の持つ「混乱させられる面白さ」がともすると消えていたかもしれないと思うのだ。 マイルス・デイビスの演奏が歳をとるほど急速テンポになっていったように、舞台もそうなればいい。でも、俳優は歳をとるとあまり早く動けなくなるからなぁ・・・。 何かうまい方法がないか、それを考えるのも今回の愉しみである。
いずれにせよ、まったくのニュー・バージョンをお届けしたい。