すまけい
1935年、国後島生まれ。66年、「すまけいとその仲間」を結成し、「ゴドーを待ちながら」「動物園物語」等を翻案、演出、出演。伝説的な舞台を作り「アングラの帝王」と呼ばれる。72年に解散、その後は演劇界から遠ざかっていたが、85年こまつ座の「日本人のへそ」で復帰。以降、多くの舞台、映画、TVで活躍。最近は二つの大病と闘いつつも、からだと相談しながら舞台に立ち続けている。読売演劇大賞優秀男優賞、ブルーリボン助演男優賞、日本アカデミー賞優秀助演男優賞、紀伊国屋演劇賞個人賞などを受賞。
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竹内銃一郎
1947年、愛知県生まれ。75年、木場勝己らと「劇団斜光社」を結成(79年解散)。80年に「秘法零番館」を結成(89年解散)。81年「あの大鴉、さえも」で岸田國士戯曲賞受賞。95年から佐野史朗とのユニット「JIS企画」を始動(現在、休止中)。96年「月ノ光」で読売文学賞と紀伊国屋演劇賞個人賞、読売演劇大賞優秀演出家賞を受賞。98年「今宵限りは…」で芸術選奨文部大臣賞を受賞。
2008年、近大舞台芸術専攻学生らと、DRY BONEを結成(活動中)。 |
松本修
1955年、札幌生まれ。劇団文学座の俳優を経て、89年、演劇集団MODEを設立。チェーホフ、ワイルダー、ベケットなどの海外の戯曲を再構成して上演。02年からの「現代日本戯曲再発見シリーズ」では、別役実、唐十郎、竹内銃一郎らの作品を新演出。近年は「失踪者」「城」「変身」などカフカの小説の舞台化に取り組む。読売演劇大賞優秀演出家賞、湯浅芳子賞、毎日芸術賞千田是也賞、紀伊国屋演劇賞個人賞などを受賞。
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七字
MODEの舞台に、というだけではなく、竹内さんの作を松本さんが演出する舞台にすまさんが主演するという企画は、組み合わせとしてもとても新鮮な企画だと思うけど、どういう経緯で始まったのかを聞きたいですね。
松本
僕が竹内さんに書き下しを書いてもらいたいな、と思ったのが最初で、MODEでは以前に竹内さんの『恋愛日記』(2002年)をやったことがあるし、そもそも竹内さんとはかれこれ、20年ぐらいのお付き合いになる……。
竹内
20年じゃきかないな。たぶん、80年代半ばくらいからじゃないの?
七字
竹内さんが文学座アトリエに書いた『事ありげな夏の夕暮』(1985年)に、当時、文学座にいらした松本さんも出演していましたよね。
松本
ええ。でもその前に『あの大鴉、さえも』を勉強会でやっているんです。実は僕、亡くなった映画監督の黒木和雄さんの助監督をしていた人を知っていて、演劇を始める以前からよく黒木監督のところに出入りしてたんです。それで、黒木さんが竹内さんと仕事を始めると聞いたとき、それこそ、今度の芝居みたいに幻の映画になるんだけど……。
竹内
山中貞雄を主人公にした『紙風船』。
松本
そのときに山中貞夫の甥の加藤泰監督の関係者も一緒で、僕は隅っこの方に居て、実はそこで竹内さんに初めてお会いしたんです。焼ける前の京橋フィルム・センター。
竹内
覚えてないなあ。
松本
竹内さんが「君、何やってるの?」って。「文学座の俳優で、以前から竹内さんの芝居を観てます」って言ったら、「稽古場にきたら」って言ってくれたんです。
竹内
あら、そう。
松本
それで、文学座の西川(信廣)さんと一緒に稽古場覗きに行きました。だからもう、20数年か…。文学座では竹内さんの芝居に役者として出ていて、MODEを作ってからは自分でも演出していて、それから、何故か、竹内さんの『月ノ光』(2000年)の再演のときに制作の方から電話がかかってきて、てっきり演出させてもらえるのかな、と思ったら、そうじゃなくて、刑事の役で出てくれ、と。しかも、今もたまたま近畿大学で一緒で、僕にとっては上司という---。
竹内
上司じゃないよ、別に(笑)。
松本
そんなわけで、竹内さんと芝居の話をするのはもう20数年続いているんですけど、竹内さんが「俺、書くよ」って言ってくださったのが数年前にあって、身近すぎてあまり考えたことがなかったんですけど、あヽそうか、竹内さんに書いてもらえるのか、それは嬉しいな、と思って、2年くらい前になりますけど、「竹内さん、どうですか? 書いてくれませんか」ってお願いしたんです。
七字
戯曲の内容について、注文をつけたりしたんですか?
松本
「どういう話がいい? リクエスト聞くよ」って言ってもらって、最初は、どういう形になるかはわからないけど、演劇についての演劇を、とは言いました。「わかった」と言われたんですけど、あとで、芝居の世界はちょっと近すぎる、距離があんまりとれないし、映画だったらどうか、って言われて。
竹内さんはもともと映画好きで、シナリオライターを目指していたこともあるし、実際に映画の仕事もなさっていて、僕も映画好き。じゃあ、映画の話で行こうと。それでプロットが出来上がってきて、いま、なかなか映画が撮れないけれど、かつて鬼才、巨匠と呼ばれた老映画監督の話だってわかりました。それで、「この映画監督は誰がいいでしょう?」と聞いたら、即座に「すまけいさんで」という。おっ、すまさん?か、と。
すま
それが俺にはわかんねぇって言うんだよ。俺も不見転(みずてん)でさ、一も二もなく、やりたいやりたいって。もう好きなんだよ、竹内さんの台本(ホン)が---。そんなこと言っちゃって、今、あわてているんだけどよ。
松本
大学の廊下で竹内さんに会ったときに「すまさんが出てくれますよ」と言ったら、「よしっ、もう書く気になってきた」って。
すま
うわぁ、それで困るんだよな。それで、あのセリフなんだ(笑)。
七字
MODEとしても劇作家の書き下ろしを上演するのは珍しいでしょ。
松本
そうですね。ゼロからというと、もう19年前の柳美里『魚の祭り』以来かな。あとはワイルダーの『わが町』をベースに翻案してくれと坂手洋二や平田オリザに頼んだり、『不思議な国のアリス』の翻案を宮沢章夫に頼んだりしたことはあるけど、ストーリーから何から全部おまかせというのは、今回が初めてです。
竹内
松田正隆くんのは?
松本
あれも泉鏡花原作、久保田万太郎脚色の『夢の女』という新派の芝居があって、それを素材にって頼んだ(1999年)。まあ、松田くんだったんで、全然違うものになりましたけど。
七字
竹内さんも、3年前に近大の学生たちと立ち上げたDRY BONESに書いてるということはあるけど、本格的に中央の劇団に書くというのは随分、久しぶりになるんじゃない?
竹内
そういう差別はないんだ、俺の中には。書くエネルギーはおんなじ。でも、DRY BONESの『心臓破り、手品師の恋』と同時並行で書いたんで、ジュニア版とシニア版っていう意識はあった。内容はほとんど関連はないんだけど。
七字
しかも、演出を他人に任せるというのは新作ではめったにない。
竹内
新国立劇場の栗山民也演出『今宵かぎりは---』以来かな。だからやっぱり、10年ぶり以上にはなる。
七字
で、すまさんを指名したというのはどういうことから?
竹内
指名したっていうか、松本くんに小津安二郎の『浮草』みたいなのを、と言われて、『浮草』の骨子が何かというと、旅回りの一座の座長、中村鴈次郎(二代目)が伊勢湾あたりの港の女と子供を作っていて、親子だけど名乗りをしてないとか、ずっと別れていて、あるとき、その離れていた親子が再会するとか---。
松本
あれ、母親が杉村春子で、息子が川口浩。
竹内
そうそうそう。で、あれは結局、興行がうまく行かなくて、一座は解散するって話でしょ。こうなればいいっていう希望が、いろんな条件の中で、なかなか巧く進行していかないというところがあって、そこらへんが今回でも意識したところかな。
七字
そうすると、鴈次郎扮する座長が映画監督になるわけで、その時点で、すまさんの監督役はイメージされていたと考えていいの?
竹内
うん。だいたい、この5、6年、アメリカ映画のハワード・ホークスにずっぽり嵌っていて、この監督は彼だなって思っていた。ハワード・ホークスみたいにカリスマ性のある俳優。俺なんかよりずっと年上で、すまさん以外に誰かいる? 日本に。すまさんしかいないでしょ(笑)。
すま
やめてよ。なんで俺なんだよ、そこで。
竹内
すまさんしかいない。なんていうか、何考えているかわからない奴。
すま
それは、そう思われてるけども(笑)。
竹内
そう思われていても、誰も反対できない、みたいな。そういう人ってすまさんくらいしかいないんじゃない? こういう言い方は語弊があるけど、すまさんってめちゃくちゃ上手い人って訳じゃないよね。なんかおかしい、ずれちゃったりとか外れていたりとか、そういう人じゃないと、駄目なんだよ、この役は。逆にいうと、すまさんが病気されたとか一応、聞いていたから、すまさんが駄目だったら結構厳しくなるなとは思っていた。でも、お会いしたらお元気だし……(笑)。
七字
ご病気が回復された後も、何本か舞台にお出になっていますよね?
すま
なんか朗読劇みたいな、台本読むだけみたいなものにね。それからこの間、TBSテレビの『塀の中の中学校』っていうのはやりましたけど。
七字
で、すまさんは松本さんの演出も初めてになるわけですけど、お話があったとき、どう思われました?
すま
恐ろしい……(笑)。
恐ろしいよ、だって竹内さんの場合は、何年か前に木場(勝己)さんがプロデュースしてくれて、竹内さんが演出してくれた『今は昔、栄養映画館』(1998年)をやっていて、例の『大鴉---』も、俺の知り合いの日芸(日大芸術学部)の学生が小さなところでやったのをわざわざ観に行ったりしてね。好きなんですよ、そっちの系統が。どっちかっていうと、『ゴドー』系の匂いがする、そういうのが好きなんですよ。
それから松本さんの場合はね、以前松本さんと一緒にやってた梅沢昌代や三田村周三とは、悪口もいいこともぜんぶ含めて言い合うような仲だったんですよ。彼らが俺は松本さんと意外に合うかもしれない、なんてことを言っていた---。
松本
ああ、そうですか。
すま
それでね、そういう人がいるのかって興味は持ってた。たまたま俺の名前が出たってことでさ、好きなもんだから一も二もなく、やる、やらせてくださいって言ってさ、それがいけなかったから、こういうことに。困っちゃうんだよね、俺に当ててすごい長い台詞を書くみたいに言われて。
七字
ホンの仕上がりは半分ほどらしいけど、それはもう読まれたんですね。
竹内
半分あるうちのその半分をすまさんがしゃべってるね。
すま
そうなんだよ。だからなんで引き受けたんだって。ついこの間まで、かすかに芝居やってます、なんてのを。こまつ座で、井上(ひさし)さんに長い台詞を言わされてひどい目にあったのに、またすぐ……(笑)。
井上さんに勝るような長さだよな、あれはさ。ねえ、2場なんてすごいよね。全部、俺のモノローグじゃないか。
松本
まだ台本を書き出す前の4月か5月に三人で会ったときも、すまさんが最初に「とにかく台詞を極力少なく」って言って、竹内さんも「それはわかってます」って言ってたんです。それで出てきたのがあれです(笑)。
僕もすまさんにお願いするときは、「ほとんど台詞はしゃべらないで、いてもらうだけでいい」って言ってたんです。だから、出来てきたのを見て、すまさんも驚かれたでしょうけど、僕も「おっと」という感じだった。
竹内
なんかね、書いていくときは架空の世界でしょ。書き始めの時点ではすまさん以外に誰も決まっていないし、書いていると、どうしてもすまさんの声が聞こえてくるわけよね、やっぱり。具体的な声が聞こえてくるのはすまさんしかいないし、もっとしゃべらせてやれ、この声をもっと聞きたいみたいになって、そこで書いちゃうんだよな。「これ、すまさんがしゃべったら、けっこう笑えるよ」、そんな感じ(笑)。
七字
僕はね、竹内さんと松本さんでやるんだったら、二人ともカフカが好きじゃない?竹内さんだったらさっき出た『月ノ光』もそうだし、その前にも『変身』をモチーフにした芝居(『かきに赤い花咲くいつかのあの家』1984年)もあった。松本さんはもちろん、「カフカ四部作」が有名だし、次回作(『あなたに会ったことがある』)もカフカがテーマになっている。だからそういうものになるのかな、と思っていたら、ガラッと違う。
竹内
そういうものに、今、ほとんど興味なくて。なんかね、ちゃんとお話があるといいなって。
すま
なんか、井上ひさしみたいになってきたな(笑)。「物語は---」なんて、死ぬ何年か前には盛んに言ってた。俺がこまつ座を辞める前までは言ってた、「物語は」って。
竹内
ホンのレベルではお話がきちっとあって、それがテキストとしてきちんと読まれて、演出とか俳優によって解体されていき、乱反射して、別の世界になるみたいなのが面白いのね。それは自分で演出するときでもそう。だからホンの段階であんまり、なんていうんだろう、抽象的になっていたりすると、演出するときにはもう面白くなくなっちゃうんだよね。逆に言うと、演出がどうしようが、俳優がどう壊そうが、そういう意味じゃ、簡単には壊れないよ、みたいなホンを書きたい。
松本
僕はね、第一稿を半分まで見たときに、それこそオーソドックスな物語だったんで、意外というか、戸惑った。もちろん、竹内さんにはそういう作品もあるけれど、やっぱり時間や空間が入り組んだ、それこそカフカ的なものがあったりとか、それからちょっとシュールな要素——シュルレアリスムの影響を感じさせるものとかがあって、そういうものが来ると思ってた。そういう作品も僕はものすごく好きで、なんか仕掛けがあるのかなと思っていたら、今のところベタなドラマっていうか、仕掛けが何もないんで。まあ、まだ最後まで出来てはいないんですけど。
竹内さんは、ちょっとやそっとで揺るがない物語をって言ったけど、そこに演出なのか演技の仕方なのか、どう風穴を開けるのか、自分でもちょっとわからないですけど、ホンを読んで想像ができるものとは、なんかちょっと違う見え方ができるようにはしたい。舞台美術とか演技とかをどうしようというのはこれからのことなんですけど、これからの作戦というか、それを考えるのが楽しみなんです。
七字
なるほど。僕は竹内さんが東京乾電池に書いた『風立ちぬ』(1998年)じゃないけど、最後まで行くと、どこかで何らかの仕掛けが出てくるんじゃないかと思っています。そもそもタイトルが『満ちる』の割には、タイトルロールの「満ちる」がまだ活躍していない。ほとんど父親の映画監督、すまさんの独壇場だから。
すま
勘弁してほしいんだよね(笑)。